2015年7月19日(日)に放送された
『SMAPの中間管理職・稲垣&草彅「1位じゃなくっていいじゃない」』で、
喜劇王チャップリンの付き人をした日本人の方が登場!!
その方の名は『高野虎市(こうのとらいち)』
では詳しく見ていきましょう!
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チャールズ・チャップリンとは?
死後38年がたった今でも多くの人に愛されている『喜劇王チャップリン』。
そのコミカルなパントマイムで世界中を笑いの渦で包んだ世界的なコメディアンです!
しかしこの喜劇王チャップリンを影で支えていたある日本人の方がいるのです。
その方は『高野虎市(こうのとらいち)』さん!
チャップリンの息子『ユージーン・チャップリン』さんは高野虎市さんをこのように語っています。
「父はあまり思い出を語る人ではありませんでしたが、
高野さんの事は秘書であると同時に唯一心を許せる特別な存在だったと言っていました。」
あのチャップリンさんにここまで言わせるとは相当な人物なのでしょうね!
では高野虎市さんを詳しく見ていきましょう!
高野虎市とは?
生年月日: 1885年(明治18年)
出身地: 広島県八木村
高野虎市さんは『チャップリンの右腕』と称されるかたです!
名家の生まれの方だそうで、15歳になると許嫁が強制的に決められていたそう!
しかしこのことに反発し、15歳で親戚を頼りアメリカへ渡ったそうです!
渡米後5歳年下の日本人『イサミ』さんと結婚。
車の運転手の仕事に就き暮らしていたそうです。
そんなある日運転手の面接のためホテルの一室を訪ねた高野虎市さん。
そこで運命を左右する出会いが!
そこにいたのは若き日のチャールズ・チャップリン!
「君は運転が出来るのか?」と高野虎市さんに聞くチャップリンさん。
それに対し「はい!」と答える高野虎市さん。
なんとたったこれだけで高野虎市さんを採用したチャップリンさん!
器が違います!
その後高野虎市さんの仕事ぶりを見てチャップリンさんは常にそばに置くように!
しかしここから高野虎市さんの激務の始まり!
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撮影現場にもチャップリンさんの世話をしについていったり、
素人同然にも関わらずチャップリンさんの命令で無理矢理映画に出演させられたり、
挙げ句の果てには、チャップリンさんの妻の浮気調査までさせられていたそうです!
自由を求めてアメリカに来たはずの高野虎市さんは、子供たちと過ごすことも出来ず束縛される日々。
肉体的にも精神的にも過酷な仕事。
そんな中1931年に公開された『街の灯』が興行収入500万ドルを越える大ヒットに!
しかしその直後人気絶頂にあったチャップリンさんが次回作のプレッシャーに追い詰められ部屋に閉じこもるようになってしましたのです。
人々を楽しませなければならないプレッシャーと孤独の闘いに苦しむ天才チャップリン。
その姿を見た高野虎市さんは「この人には僕がいなければダメだ!」とどれだけキツくてもチャップリンを支える事を決意!
その後公私ともにあらゆるワガママに答えていきました。
そんな高野さんに対してチャップリンさんがどれほど信頼していたかを表す言葉が自伝に記されています。
「コーノは私の全てだ。」
これだけで高野さんがどれだけチャップリンさんに愛されていたかがわかりますね!
その結果チャップリンさんはなんと、、、
家の使用人17人を全て日本人に変更したのです!
そうして2人の固い絆が後に数々の名作を生み出しましたのでしょう!
そしてチャップリンさんを長年支え続けた高野虎市さんは晩年を故郷の広島県で過ごします。
1971年に86歳でその人生を全うしました。
高野虎市さんの死から1年後の1972年4月10日。
アカデミー賞特別賞を受賞するためセレモニーに参加した82歳のチャップリンさん。
そこに日本のある取材陣がインタビューを行った時のこと。
「チャップリンさん、日本の皆に何か一言お願いします」
と言われたチャップリンさんは、
「Japan・・・」
そう言って涙を流したそうです!
まとめ
高野虎市さんのような日本人の方を見ると誇りに思いますよね!
決して自分がしたわけではないのですが・・・w
こんな他人に自分の人生尽くせる素敵な人間になりたいものですね!
そうしみじみと思わせるお話でした!!
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